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萌学舎の講師を紹介します。専任・正社員のプロ講師が「楽しく、厳しく、根気よく!」毎日夜23:00まで面倒を見ます。
当塾は一教場のみですので、異動などで突然講師が変わることがありません。
お子様の合格まで、しっかりと指導していきます。
角 一路 Sumi Kazumichi
Profile
- <出身地>
- 埼玉県新座市出身
- <出身校>
- 新座市立新座第四中学校
→ 県立朝霞高校
→ 東京大学理学部卒
講師の言葉
「あんたはやれば出来るのよ」。
それは私の母の口癖で、年々成績の低下する通信簿を見ても、やさしくそう言ってくれたのを思い出します。能天気だった小学生の私は、この言葉に包まれて育ちました。しかし、中学生になると、この言葉は逆の意味に感じられ始めました。
「やらないから出来ない」。
当時の私は勉強に興味を失っていました。高校進学後も、部活に熱中した私の成績は下がり続けました。ところが、高校三年のある日。私はふと、この言葉を思い出します。そして憑かれたように勉強を始め、一年後、第一志望の大学に合格しました。「やれば出来る」。その言葉は18年かけて、ようやく母から私に伝わったのです。その後、アルバイトで塾講師の経験を重ねるうちに、この言葉を、今度は自分の手で誰かに伝えられることに気付き、今の仕事を選びました。技術的にはまだまだ未熟ですが、自分の信じるものを一人でも多くの生徒に伝えたいと思っています。
入部 岳久 Iribe Takehisa
Profile
- <出身地>
- 埼玉県和光市出身
- <出身校>
- 和光市立和光第二中学校
→ 私立城北高校
→ 青山学院国際政治経済学部卒
講師の言葉
勉強はまぁまぁできるが、不真面目、かわいくない。もう少し具体的に言うと、テストの点は良いが通知表の成績が悪い。
私は中学校に通っていたころ、そんな子供でした。
しかし、すべての教科において常にそのような態度で臨んでいたわけではありませんでした。担当の先生に対して「人間として尊敬できる」あるいは「とても頭が良くて一生かかってもかなわない」と感じていた教科には、一生懸命に取り組んでいました。そういう先生に対する尊敬の気持ちは今も変わりませんし、感謝もしています。
今、私は当時とは逆に教師という立場にあります。そして生徒のやる気が、教える側の人間に大きく影響されるということを知っています。生徒の「理解したい」という気持ちに応えられるような授業を心掛けるのはもちろん、その前提として、生徒一人一人と接することによって良い影響を与える一個の人間でありたい、そう思っています。
加藤 国夫 Kato Kunio
Profile
- <出身地>
- 埼玉県南埼玉郡宮代町出身
- <出身校>
- 埼玉県宮代町立百間中学校
→ 県立春日部高校
→ 埼玉大学教養学部卒
講師の言葉
「頑張ればできる」とか「夢は必ず実現する」とか、人間の可能性を信じて疑わない言葉の数々があります。こんなことを言うと、「人には能力の差がある」「頑張ってもできないことがある」「夢ばかり追っているな」という声が聞こえてきそうですね。たしかに、一人の人間の肉体には限界があるのだから、「頑張ればできる」などというのは無責任なのかもしれません。でも、「どうせ、俺にはできないよ」と自分の能力を決め付けてしまうのも、人間として成長する機会を失うので悲しすぎます。
混沌とした世界の中では、人間は不安に駆られてしまって生きにくいものです。そこで、いろいろとレッテルを貼り付けて安心しようとします。たとえば、人間関係において、「あの人はああいう人だから」とか「私はこういう人間なんだ」とか、人を固定的にとらえると気持ちが落ち着いてきて、行動しやすいでしょう。でも、人間って、そんなに固定的なものでしょうか。日々移ろっていく存在なのではないでしょうか。昨日の自分と今日の自分、一年前の自分と今日の自分、十年前の自分と今日の自分、…と比較していけば、もう明らかです。人間とはいかに流動的であるか。そんな人間が織り成す世界だからこそ、刺激があって面白いのです。それをあまりに固定的にとらえてしまうのは、つまらな過ぎます。
私にも苦い経験があります。人にレッテルを貼ることで、あるいは、人からレッテルを貼られることで、お互いに成長することなく人間関係が発展しなかったことが。また、自分で自分にレッテルを貼ることで自分の可能性を閉ざしてしまったことが。
一人の人間は確かに有限です。しかし、それでもなお、壁を打ち破ろうとして無限に努力を続けること。これが人間らしい生き方ではないでしょうか。こんなことを考えながら、日々子どもたちと向き合っています。
芳野 友規 Yoshino Yuuki
Profile
- <出身地>
- 埼玉県
- <出身校>
- 朝霞市立第四中学校
→ 県立川越高校
→ 東京工業大学工学部卒
講師の言葉
学校の勉強を熱心にする方がしないよりもいいことだとか、テストで高い点数を取る人の方が低い点数を取る人よりも優秀な人間であるとは全く感じていません。私の身近にいる親しい人々も、学歴はまちまちであり、各々異なった方法で生活していますが、お互いを尊重しあって仲良く付き合っています。
学ぶことは、人間にとって根源的な活動です。それは自分にとっての先入観を形成する精神的な活動であり、その先入観を越えて人間は考え、行動することができないからです。
学ぶことは学校の勉強だけではありません。我々は問題集に向き合っていない時間でも常に自らの先入観を更新し続けているのです。他人との会話であったり、遊びであったりも全部自らの学びの内という訳です。なんだって学びじゃないかと言われれば、その通りだと思います。
文明人として生まれ生きていく以上、人間や社会や自然について学ぶことは避けようがありません。我々の生きる世界には自分も含めた幾多の人々の思惑や自然の力が働いているのですから、学ぶことを放棄するということは、自分の人生の主権を放棄することになります。言ってみれば、目隠しをしたまま、他人の「前!」とか「右!」とか「そこだ!」とかいう無数のランダムな忠告を頼りにしてスイカ割りをしようと試みるようなものです。
学ぶことは面白い。今までわからなかったことが解り、見えなかったことが見えてくると、自分自身が変化しているのを感じることが出来ます。
塾講師として生徒の皆さんに学校の勉強や受験勉強をお教えしながら、私自身もまた、書物や実務から教育について日々学んでおります。とはいえ、自ら親となり子供を育てるまではいつまでも半人前だろうと思っています。
生徒の皆さんと過ごす時間がお互いにとって意義深く、印象深いものになれば幸いです。
國吉 真人 Kuniyoshi Masato
Profile
- <出身地>
- 埼玉県入間市
- <出身校>
- 入間市立向原中学校
→ 私立西武学園文理高校
→ 立教大学文学部卒
講師の言葉
「学校の勉強は、本当に若い貴重な時間を費やすべきものなのか?」
「人生には、もっと大事なものがあるのではないか?」
子供のころ、そのように考えていたことがありました。そう考えながらも、しぶしぶ勉強していた覚えがあります。
社会人になってから、様々な業界で、時には会社員として、時には個人事業主として、多くの人・多くの仕事に触れました。その中で、次第に考えが変わっていきました。
「学校の勉強、やってよかった。おかげで、人生を切り拓けた」
そう思うに至ったのです。
数学的なものの考え方、数字への感覚は、主体的にお金を稼いでいく上で不可欠です。ほかで良い面があっても、数字に弱いせいで、事業に失敗していった人がいました。反対に、ある程度数字に強いだけで、頼られる場面がいくつもありました。
人に伝わる文章を書けるか書けないかで、仕事の結果が大きく変わる場面を何度も目にしました。
英語を構造的に解釈する、という経験は、プログラミングを覚える土台となってくれましたし、半年間アジアを放浪するという経験ができたのも、海外旅行で困らないくらいの英語力があったからです。
勉強よりも大切なことは、世の中に山ほどあります。
しかし、限りあるチャンスを活かし、その大切なことにどれだけ触れられるかは、その人がどれだけ学んできたか、学ぶ力を身に着けているかで左右されます。
これからの子供たちが生きていくのは、答えのない世界。誰も「これが正解だ」と教えてくれず、自分自身で正解を決めていくしかない世界です。
自分の力で答えにたどり着く訓練ができ、様々な角度から脳を成長させてくれる勉強は、生きていくうえで、とても、とても大事なのです。
勉強の目的は、人生を切り拓く武器を得ること。「こう生きてみたい」と考えるであろう、未来の自分を助けること。
学校のこと、部活のこと、そして塾。両立は大変です。でも、大変な努力の積み重ねの果てには、素晴らしい景色を掴むチャンスが待っています。
さあ、一緒に勉強しましょう。
下山 征広 Shimoyama Yukihiro
Profile
- <出身地>
- 埼玉県飯能市
- <出身校>
- 飯能市立飯能第一中学校
→県立所沢高校
→早稲田大学商学部卒
講師の言葉
私は小学生のとき、劣等生でした。テストの前に勉強するのはひきょうだなんぞと考えていたふしがあり、毎日犬を友に川原を走りまわっていました(おかげで足だけは丈夫になり、後に陸上競技で県体にも出場しました)。しかし、中学に入るとさすがに知恵がつき、これではまずいと思ったのでしょう。はじめて学習計画を立て勉強するようになりました。そして1学期の通知表。生まれて初めて5をとりました。うれしかった。体育だったけど。しかし、自信ほど恐ろしいものはありません。純粋無垢だった私は自分は頭がいいと思い込んでしまったのです。その後、主要科目はほとんど5をとるようになってしまいました。
子供たちは皆、今の自分をもっと良くしたいという向上心を秘めています。自信を持つことで大きく伸びる可能性を持っています。私はその可能性を引き出すことが教師の仕事だと思っています。
私がこの仕事を始めたのは学生時代です。20代はある国家試験をめざし、生活のために塾教師をしていました。その後、受験を断念し考えた末にこの仕事を続けることにしました。今はこの道を選んで本当に良かったと思っています。私は合格の喜びも知っていますが、挫折や失敗もたくさん経験しています。でも、失敗からしか学べないこともあります。子供たちに伝えたいことが山ほどあります。続きは教室で話します。