このページでは、萌学舎が今までに配布した折り込みチラシに掲載した講師の言葉を載せています。
講師からのメッセージ
また新しい1年が始まります。ひとつ学年が上がり、どの生徒も新鮮な気持ちで授業に臨んでいるように見えます。新入生たちも、これからがんばろう、という雰囲気で一生懸命に取り組んでいます。私は、そういう生徒たちに「勉強をする」とはどういうことか、その意味と方法を教えたいと思っています。卒業していく生徒たちが、萌学舎をもはや必要とせず、在塾中に学んだことを生かして、それぞれの進路をしっかりと歩んでいけること。それが教師としての私の理想です。
“人間はひとくきの葦にすぎない。自然の中で最も弱いものである。だがそれは考える葦である” 有名な言葉ですが、これで終わりではありません。続く文章でパスカルは、考えることの大切さを教えてくれます。なぜ私たちは考えなければならないか、それは“我々の尊厳のすべては、考えることの中にある”からであり、人間の精神には“考えることによって、私が宇宙をつつむ”と言えるほどの広がりと可能性があるからです。生徒たちが受験勉強を通して身につけた考える力が、その後も無意識のうちに彼らの役に立ち、彼女たちを支えると信じて、今できる限りのことをします。
私は中高生の頃、勉強に対して努力するなどあり得ないことだと考えていました。しかしこの仕事に就き、真面目にがんばる生徒たちに、努力することの素晴らしさを日々教えられています。そんな生徒たちのために、1年間私も力を尽くしてきました。3月、無事に進学先を決めた笑顔の卒業生の姿が心嬉しいと同時に、寂しい季節でもあります。この寂しさは、自分が全身全霊を傾けて生徒と向き合ってきたからこそ感じるものだと思います。来年もまた、同じ気持ちでこの時期を迎えられるように、今年も精一杯やります。
エジソンの『天才は1%のひらめきと99%の努力である』という名言は、努力の大切さを説くためによく使われますが、「いくら努力をしてもひらめきがなければ無駄」という解釈もあるそうです。我々大多数の人間は天才ではないので、どのみち関係ありませんが。 先日読んだ本に同じくエジソンの言葉が引用されていました。『失敗などしていない。うまくいかない方法を1000通り発見しただけだ』。これは私たちにも有用な心構えです。解けなかった経験も、問題解決のための土台になる。それを生徒に理解させたいと思っています。
デンマークの高校卒業試験(日本の大学入試に相当)では、辞書や参考書の持ち込みに加えて、インターネットでの検索も許可されているそうです。試験で見極めたいのは、記憶力ではなく思考力だというわけです。日本の中高入試でも、思考力を問う問題・記述式の解答を求められる問題が増えているように思います。しかしまた、暗記も大切です。暗記したことは考える材料になりますし、逆に考えるから覚えられるという面もあります。どちらか一方に偏らないような指導を心がけています。
私は授業の合間の時間などに生徒とよく話をします。生徒とコミュニケーションをとることも仕事の内だという考え方もありますが、それよりも、生徒といろいろな話をするのが好きだからそうしています。ひとりひとりがそれぞれの考え方を持っていて、「そういう考え方や感じ方があるのか」という発見をさせてくれます。教師は様々なことを教える立場にありますが、私自身、人としてまだまだ未熟で、生徒と接することによって逆に教えられることも多くあります。そういう人間同士の関わりを持てる環境にいることを幸せに感じています。
『一番いけないのは自分なんかダメだと思いこむことだよ』「やってもどうせできない」そう思ってしまって勉強に身が入らないことがあるかもしれません。もちろん世の中には努力してもそのすべてが無駄になるという物事も多く存在します。しかし勉強に関しては、やった分だけ結果が出ます。勉強の他にも、生徒たちの周囲には努力する価値のあることがたくさんあるはずです。子どもたちには未来があり、未来にはあらゆる可能性があります。冒頭の引用、未来から来たドラえもんの言葉がピッタリです。
以前は、すべての生徒に対して全く同じ接し方をするという機械的な意味で公平な教師でありたいと思っていました。しかし実際には、生徒はみなオリジナルな人間です。負けず嫌いでやる気が前面に出る生徒、競争心を内に秘めて黙々とがんばる生徒、穏やかで繊細な心を持っている生徒。色々な生徒がいます。生徒によって接し方が違う場面があっても、ひとりひとりをきちんと見て良い関係を築ける人間でありたい、そしてそれが本当の意味での公平さなのだと、今は思っています。
世界を様々な角度から眺めることで色々な解釈をすること。多様な価値観のあることを知り、それを受け入れること。中高生の頃はまったくできませんでしたが、私が今できるだけ心がけたいと思っていることです。生徒たちは皆、自分自身の考えを持っています。私の信じていることをただ押し付けるのではなく、生徒それぞれの良いところを見つけ、その価値観を認めてやれる人間でありたいです。そして、教えている勉強が受験に役立つだけでなく、現在及び将来生徒たちが様々なことを考える際の礎になれば幸いです。
生きるということは判断・選択の連続です。どの学校に進学するかというのももちろんそのうちのひとつですが、たとえば、今この時間に何をするのか、というような細かい判断もすべて今後の人生を決める要素です。本を読むのなら何を読むのか、音楽を聴くのなら何を聴くのか、という更に細かい選択も同様にその人の世界の形成に関わってきます。今この瞬間の大切さ、後から悔やむことのないように自分の行いを決める覚悟(自主性と言い換えてもよいかもしれません)を持つことの意義。勉強とともに、そういうことも教えていければと思います。
「素人は技術的には未熟でも、心のこもった演奏をして聴衆を感動させる。そこで私たちプロは気をつけなければならない。技術を磨くのに忙しくて心を忘れがちになる」。がんを克服した小澤征爾さんの言葉です。世界的な名指揮者の技術をもってしてもそれだけではダメ。あるいはそのことを意識しているから名指揮者なのかもしれません。私自身は凡才ですが、少なくとも「心」を忘れずに生徒と接していかなければならないと、改めて思います。
人はそれぞれ、自分自身のうちに、「経験したもののすべてから構成されたひとつの世界」を持っています。萌学舎で過ごしたひととき、また進学した中学・高校で過ごす数年間は、間違いなく生徒たちの世界を形づくる要素になっていくはずです。日々の授業の中で、必要な知識を与え、思考力を養い、ときには授業時間外に勉強以外の話をしていくなかで、生徒ひとりひとりが、より良い世界を生きていく手助けができれば嬉しく思います。