加藤国夫からのメッセージ

加藤 国夫

このページでは、萌学舎が今までに配布した折り込みチラシに掲載した講師の言葉を載せています。

講師からのメッセージ

2016年3月

走るのは私の趣味の一つ。まあ、傍からみればほとんど歩いているように見えますが。そんな私もときどき20㎞ほどのレースに出ます。ふだん一人ではつらくてそんな長距離、走れません。でも、レースでは集団の波にのって走れてしまいます。孤独な営みなのだけれども他者に助けられる。学年末テスト直前の日曜日、萌学舎の中学生たちは8時間(2時間毎に休憩)勉強しました。一人、自宅でそんなに勉強しようと思っても出来ません。「アイツも頑張っているから自分も」と思える集団の力だと思います。萌学舎にはそういう仲間がいます。今年も最後まで子供たちに伴走します。

2015年3月

つい先日入試が終わりました。そしてまた来年の入試に向けて始まります。いつもこの時期に思うこと、それは時間の流れのはやさです。あっという間でした。今年卒業の受験生たちの顔を思い浮かべ、一年前はああだったとかこうだったとか感慨にふけっていると、ふと気がついた。時間は「流れる」ものではなく「染み込む」ものではないか。一年前は幼かった(ゆるんでいた?)生徒たちの顔立ちが受験勉強を通して引き締まってきた、充実した時間がその顔に染み込んでいくかのように。今年も一人ひとりの時間に出来る限り寄り添いたいと思います。

2015年1月

昨年思うところがあって本格的に走り始めました。毎日30~60分、ゆっくり走る。身体が温まってくるにつれ、身体に纏わりついていた疲れが剥がれ落ちていく。習慣になると多少天気が悪くても走る。習慣の力は偉大だ。努力によって得られる習慣だけが善である、と誰かが言っていた。英単語や漢字を覚える、計算練習といった勉強は地味で面倒くさいかもしれない。でも努力によって習慣化できれば続けられる。そういう日々の積み重ねが人生の行方を定める。そんなことを伝えられればと思っています。

2014年3月

新学期を迎え生徒たちは生き生きとしています。とくに新受験生たちはそう。1年後には進路先が決定している。どういう未来になるかは今の自分しだいで変わるかもしれない、よし、頑張ろう!という意気込みが感じられます。今年もまた始まります。しかし順調なときばかりではありません。進路先で悩むこともある。そんなとき安心して相談してもらえる存在でありたいと思います。そのときに私が心がけることは一つ。「どうすることがその子のためになるか」それだけです。

2014年1月

みなさんは思い通りに顔の表情をつくれるでしょうか。笑顔をつくって写真を撮ってもらっても、その写真をみてみると全く笑顔になっていない。私たちは顔の皮膚の内側から働きかけるわけだけれど、少しの働きかけでは自分の思い通りの表情になかなかなりません。内側から強く思わなければ外界には届かないということ。思考は現実化する。ただし、強く思わなければならない。子どもたちとともに私も強く思い続けたいと考えています。

2013年3月

スポーツや演劇でプロが何気なくこなしている動作を自分でやってみようとすると、これが難しくてなかなか出来ません。自分の身体なのだけれど自分自身でうまくコントロールできないのです。何事も思い通りにやるためには反復が必要です。しかし人間は機械ではないので「これだけやれば必ずああなる」というわけではありません。諦めかけたときに予想以上の進歩を遂げることもあります。一律に決められるものではありません。今年も私は試行錯誤を重ねていきたいと思います。

2013年1月

空腹を感じてもコンビニに行けばいつでも何でもある。退屈しても娯楽は至るところにある。すぐに欲望が満たされてしまう、そんな便利な社会に私たちは生きています。だから思い通りにならないことがあるとすぐに苛立ちを感じやすくなっているかもしれません。でも広く世界を見渡せば人間の思い通りにならないことばかり。それでもなお、よりよくしていこうと努力することが人間らしい行為ではないでしょうか。そういう努力を子どもたちといっしょに続けていきたいと思っています。

2011年3月

小林秀雄といえば、以前は入試によく出る評論家として知られていました。いま、その講演をCDで聴くことができます。その中で彼は怒っている(ように聞こえます)。「『わかる』ということと『苦労する』ということは同じ意味なんです」と。何でもすぐにわかりたがろうとするのは現代の病だと嘆いています。「もっと苦労しろ」と亡くなった「おじいちゃん」から叱られているような気がしました。人間は複雑です。そう簡単にわかるものではありません。肝に銘じて精進していきます。

2010年3月

映画『インビクタス/負けざる者たち』の中で、27年間投獄されていたマンデラ大統領は、ある詩が心の支えとなったと語ります。「門がいかに狭かろうと いかなる罰に苦しめられようと 私は我が運命の支配者 我が魂の指揮官なのだ」物事がうまくいかないとき、人はつい自分の外に原因を求めたがります。しかし、環境をどう受け止めるかで、その人の運命が変わることもあるのではないでしょうか。諦めない。そうすれば道は開かれる。そんな心の支えとなる言葉をこどもたちにかけていきたいと思います。

2010年1月

席替えをすると同じ教室なのに周りの見え方がそれまでと違ってきます。位置が少し違うだけなのに。ことほどさように同じものでも視点が違うと見え方が変わります。人間はどうしても自分中心に考えがちなので、この自分が「ほんとうの世界」を見ている気になってしまいます。これは私が自分自身に対して戒めていることです。ものごとを固定的な視点でみないこと。生徒の視点と親の視点の間を行きつ戻りつして生徒の生き方を応援していくこと。教師の務めもこれではないかと思っています。

2009年1月

現代人は視覚にだけ頼りすぎているようなところがありますが、身体を通さなければ何事も自分のものにはなりません。英単語ひとつ暗記するにしても目で見ているだけではダメです。何度も手を使い書いたり声に出したりする必要があります。一度自分の身体を潜らせないと自分の血肉にはならないのです。それでは、そこまでのことをさせる原動力はどこから沸いてくるのか。身体のどこかに、人を向上させる原動力の「鉱脈」が眠っているのではないでしょうか。その「鉱脈」に働きかけるのが教師の務めではないかと思っています。

2007年3月

桜の季節が訪れると、いつも気持ちが改まります。生徒たちも学年が上がると、着慣れない服を着ているような気持ちを抱くのではないですか。さあ、この新鮮な気持ちのときに目標を立てよう。毎日この科目をこれだけは勉強するといったような具体的で実現可能なものがいいでしょう。そして、それを必ず実行すること。いまの気持ちはいずれ変わってしまいます。だからこそ、不安定な気持ちに左右されることのない習慣をつけること。この毎日の積み重ねが人生の行方を定めるのです。

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