教師紹介

萌学舎講師陣の自己紹介です。

下山 征広 Shimoyama Yukihiro

 県立所沢高校 → 早稲田大学商学部卒
2000年 夏 知床にて

私は小学生のとき、劣等生でした。テストの前に勉強するのはひきょうだなんぞと考えていたふしがあり、毎日犬を友に川原を走りまわっていました。(おかげで足だけは丈夫になり、後に陸上競技で県体にも出場しました)しかし、中学に入るとさすがに知恵がつき、これではまずいと思ったのでしょう。はじめて学習計画を立て勉強するようになりました。そして1学期の通知表。生まれて初めて5をとりました。うれしかった。体育だったけど。しかし、自信ほど恐ろしいものはありません。純粋無垢だった私は自分は頭がいいと思い込んでしまったのです。その後、主要科目はほとんど5をとるようになってしまいました。

子供たちは皆、今の自分をもっと良くしたいという向上心を秘めています。自信を持つことで大きく伸びる可能性を持っています。私はその可能性を引き出すことが教師の仕事だと思っています。

私がこの仕事を始めたのは学生時代です。20代はある国家試験をめざし、生活のために塾教師をしていました。その後、受験を断念し考えた末にこの仕事を続けることにしました。今はこの道を選んで本当に良かったと思っています。私は合格の喜びも知っていますが、挫折や失敗もたくさん経験しています。でも、失敗からしか学べないこともあります。子供たちに伝えたいことが山ほどあります。続きは教室で話します。

寺松 毅彦 Teramatu Takehiko

 私立久留米大附設高校 → 早稲田大学政治経済学部卒
富士急ハイランド FUJIYAMAの階段で

福岡県の片田舎に生まれた私が初めて、入試というものを経験したのは、鹿児島のラ・サール中学でした。あまりの受験生の多さと見るからに賢そうな顔々顔々…に圧倒され、頭の中が真っ白になったことだけを記憶しています。それから3年後、福岡県にある久留米大附設高校に入学。浪人時代を経て、早稲田大学に進みました。中学・高校・大学とそれぞれの年代においての自らの受験の経験は、塾教師としての現在の礎のひとつになっています。

学生時代に始めた塾教師のアルバイトをきっかけに卒業後、中高進学塾に入社。実際に教えると並行して、テキスト・模擬テストの作成、高校受験手引書の上梓、中学入試問題のテレビ解説など、経験を積みました。その後も教務の責任者として、教材の研究開発、授業効果の研究と実践、入試資料の作成などに携わりながら、最終的には「生徒を教える」ということに収れんする塾教師としての本領を磨いてきました。

この間20数年、本当に多くの様々な生徒たちに出会い、彼らを教え、また彼らに教えられながら私は成長してきたように思います。中学入試ではいわゆる御三家に、高校入試では国立・開成・早慶に、担当する多くの生徒たちが進学しました。もちろん第1志望校合格を果たせず涙をのんだ生徒もいます。しかし、共通するのは目標に向かって努力することのすばらしさです。「分かり、理解できるから、さらに高いところを目指す」これが自然な姿であって、誰もが等しく持つ欲求であるものと思います。私は、そんなみんなの手助けをし、喜びを分かち合えるこの仕事が好きです。

角 一路 Sumi Kazumichi

 県立朝霞高校 → 東京大学理学部卒
富士急ハイランド グレート・ザ・ブーン体験直後

「あんたはやれば出来るのよ」。それは私の母の口癖で、年々成績の低下する通信簿を見ても、やさしくそう言ってくれたのを思い出します。能天気だった小学生の私は、この言葉に包まれて育ちました。しかし、中学生になると、この言葉は逆の意味に感じられ始めました。「やらないから出来ない」。当時の私は勉強に興味を失っていました。高校進学後も、部活に熱中した私の成績は下がり続けました。ところが、高校三年のある日。私はふと、この言葉を思い出します。そして憑かれたように勉強を始め、一年後、第一志望の大学に合格しました。「やれば出来る」。その言葉は18年かけて、ようやく母から私に伝わったのです。その後、アルバイトで塾講師の経験を重ねるうちに、この言葉を、今度は自分の手で誰かに伝えられることに気付き、今の仕事を選びました。技術的にはまだまだ未熟ですが、自分の信じるものを一人でも多くの生徒に伝えたいと思っています。





入部 岳久 Iribe Takehisa

 私立城北高校 → 青山学院大学国際政治経済学部卒
初夏のレクリエーション、ディズニーシー入り口で

勉強はまぁまぁできるが、不真面目、かわいくない。もう少し具体的に言うと、テストの点は良いが通知表の成績が悪い。私は中学校に通っていたころ、そんな子供でした。しかし、すべての教科において常にそのような態度で臨んでいたわけではありませんでした。担当の先生に対して「人間として尊敬できる」あるいは「とても頭が良くて一生かかってもかなわない」と感じていた教科には、一生懸命に取り組んでいました。そういう先生に対する尊敬の気持ちは今も変わりませんし、感謝もしています。

今、私は当時とは逆に教師という立場にあります。そして生徒のやる気が、教える側の人間に大きく影響されるということを知っています。生徒の「理解したい」という気持ちに応えられるような授業を心掛けるのはもちろん、その前提として、生徒一人一人と接することによって良い影響を与える一個の人間でありたい、そう思っています。




加藤 国夫 Kato Kunio

 県立春日部高校 → 埼玉大学教養学部卒
初夏のレクリエーション、ディズニーシー入り口で

「頑張ればできる」とか「夢は必ず実現する」とか、人間の可能性を信じて疑わない言葉の数々があります。こんなことを言うと、「人には能力の差がある」「頑張ってもできないことがある」「夢ばかり追っているな」という声が聞こえてきそうですね。たしかに、一人の人間の肉体には限界があるのだから、「頑張ればできる」などというのは無責任なのかもしれません。でも、「どうせ、俺にはできないよ」と自分の能力を決め付けてしまうのも、人間として成長する機会を失うので悲しすぎます。

混沌とした世界の中では、人間は不安に駆られてしまって生きにくいものです。そこで、いろいろとレッテルを貼り付けて安心しようとします。たとえば、人間関係において、「あの人はああいう人だから」とか「私はこういう人間なんだ」とか、人を固定的にとらえると気持ちが落ち着いてきて、行動しやすいでしょう。でも、人間って、そんなに固定的なものでしょうか。日々移ろっていく存在なのではないでしょうか。昨日の自分と今日の自分、一年前の自分と今日の自分、十年前の自分と今日の自分、…と比較していけば、もう明らかです。人間とはいかに流動的であるか。そんな人間が織り成す世界だからこそ、刺激があって面白いのです。それをあまりに固定的にとらえてしまうのは、つまらな過ぎます。

私にも苦い経験があります。人にレッテルを貼ることで、あるいは、人からレッテルを貼られることで、お互いに成長することなく人間関係が発展しなかったことが。また、自分で自分にレッテルを貼ることで自分の可能性を閉ざしてしまったことが。

一人の人間は確かに有限です。しかし、それでもなお、壁を打ち破ろうとして無限に努力を続けること。これが人間らしい生き方ではないでしょうか。こんなことを考えながら、日々子どもたちと向き合っています。