お知らせ・コラム
『正義と微笑』太宰治

美しく飾り立てられた言葉ではないのに、いつまでも心の中に沁みついて離れない。いろいろ本を読んでいると、そんな一節にあたることがあります。
何でもない一言、平易な言葉が、とても不思議な響きを帯びるのです。
個人的には、山田正紀「崑崙遊撃隊」や、夢枕獏「上弦の月を食べる獅子」などの中に、20年以上たってもずっと心に残っているフレーズがあります。
今回紹介する、太宰治の「正義と微笑」も、そんな物語の一つです。
太宰治と聞くと「人間失格」を連想する人が多いでしょう。暗く、苦悩に満ちた小説を書く作家。そういうイメージが強いかもしれません。
しかし、「正義と微笑」は一味違います。
主人公は、芹川進。16歳になったのを機に、日記を書き始めるところから物語は始まります。
話はそのまま日記形式でテンポよく進み、とても読みやすいです。
思春期の少年らしく、友人を偉そうに褒めたその次の日には些細なことで見下し、そうかと思えば一転して自己嫌悪に陥ってふさぎ込み、ちょっと認められるとすぐに調子に乗る。
そんな思春期の心の動きがとてもリアルに表現されていて、共感する場面がたくさん出てきます。
理想を胸に抱こうとしながらも、何を理想とすればよいかわからず、それでも純粋に何かを求めて迷い、悩み続ける。そんな進は、小さな挫折や成功を経て、様々な人と出会い、だんだんと自分の人生に筋道を見つけていきます。劇的な演出はありません。
でも、だからこそ、自分の人生を捉え、手繰り寄せていく様が心に迫ってきます。
これを書くために改めて読み直して、思ったことがあります。
勉強は、受験のためや、将来に役立てるためだけではない、もっと深いところに本質がある。世界は様々な切り口で捉えられます。
宇宙という観点からも、数学という観点からも、歴史、物語はもちろん、生物学や栄養学や地質学、詩や絵、音楽、写真、プログラミング、料理や裁縫でも、数多の世界観が複雑に絡み合って存在します。
「世界は卵だ。僕らは殻を破らなければならない」というのはヘルマン・ヘッセの言葉ですが、「殻を破る」というのは、「自分なりに世界を捉える」ということだと思います。
AIが「タダシイ」とする答えを出そうがなんだろうが、関係ないのです。
「正義と微笑」の中で、ある先生はこう言います。「覚えるということが大事なのではなくて…心を広く持つということなんだ。…その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが尊いのだ」。
その砂金を以て、自分なりに世界を捉え、人生を切り拓くときに、本当の喜びが生まれるのではないでしょうか。答えを一度出しても、また悩み、迷うでしょう。そのたびにまた学び、答えを見つける。その繰り返しです。
だから、「学ぶ」ということが、一生大事になります。その勉強を、皆はまさに今、しています。
國吉がこれを読んだのは19歳か20歳の頃でした。
その頃でも、共感できる部分がそこかしこにありましたが、これから進と同じ16歳になっていくタイミングで、この物語を読める皆がうらやましいです。最後のページに、今でもふと思い出すフレーズがあります。それが何かを言ってしまいたくはありません。
特に3年生は、受験が終わったら、ぜひ読んでみてください。読み終わった後、不思議な明るさ、希望を感じるのではないかと思います。
勉強しましょう。大人も子供も。
※ここで紹介された本は萌学舎文庫(自習室の本棚。2週間貸出)にあります。
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