お知らせ・コラム
桜の季節。八潮市の道路陥没事故に思うこと
今年の1月に発生した八潮(やしお)市の道路陥没事故は、個人的にいろいろと考えさせられる事故でした。一口に言うと、今まで当たり前だと思っていたものが、全然当たり前ではなかった、ということです。
「当たり前」のことを実現するために、いったいどれだけの積み重ねが必要なのか
八潮市の人口は約9万人。志木市や和光市より人口の多い市です。登山中にクレバスに落ちたというならいざ知らず、こんな大きな街のど真ん中で穴に落ちた人間を救助できないなんてことがあるんですね。それがまずびっくりです。
しかし、今回の件で私をより驚愕させたのは、水道・下水道というシステムの巨大さについてでした。
今回の事故で破損した下水管の直径はおよそ5m。トラックの運転席が丸々飲み込まれる大きさでした。萌学舎の職員室がざっくり5m×5mなんですが、こんな巨大なものが地下10mの深さに延々と埋めてあるというのは、考えてみればとんでもない話です。
また、今回の事故では周辺地域に下水道の使用制限が呼びかけられましたが、その対象者が約120万人というのもビビりました。たった一本の下水管に、ですよ!
蛇口をひねれば水が出て、排水口に消えていくという「当たり前」のことを実現するために、いったいどれだけの知識と技術の積み重ねが必要なのか、考えてみるとめまいがしそうです。
流体の運動を考えるための微分方程式、大規模な水道網の設計のため線形代数、適切な傾斜角を求めるための三角関数、水道管の材質を考えるための化学反応論、工事を行うための土木工学……。
水道を敷くためには、どこかで誰かがこういう技術を勉強しなければいけません。
もちろん水道がなくたってなんとでもなります。近くの井戸や川まで水を汲みにいけばいいのです。実際、世界人口のうち7~8億人は水道のない生活をしています。
宿題もないし、テストもないし、追試もない世界
水汲みはたいてい子供の仕事です。水を運ぶのには特別な技術を必要としませんし、1回で運べる量が少ない子供でも、単に何往復もすればすむ話だからです。なかには20リットルのポリタンクをかつぎ、1日あたり8時間を水汲みに費やしている子供もいます。
学校なんかもちろん行きません。そもそも水道もないような国では教師の給料がまともに出ないので、学校自体が機能していないのが普通です。
「勉強なんかしたくないです」という生徒には「じゃあこういう生活がいいの?」という話をときどきします。水を汲むだけの人生には、宿題もないし、テストもないし、追試もありません。親から勉強しろと言われることもないでしょう。だって、数学や化学や外国語なんか水汲みには何の役にも立ちませんから。
私たちが当たり前のように享受している生活が実は多くの人間の努力の積み重ねでできていることを、今回の事故で改めて実感しました。そして、その努力の形の一つが勉強だと思います。
もらったものを世界に返していくということ
日本という国は、いろいろ問題もありますが、少なくとも「勉強する」という選択肢を選ぶことのできる国です。それだけで我々は本当に恵まれています。世界には貧困や病気などで自分の人生を選べない人たちがたくさんいるわけで、恵まれた立場にいる我々は少しでも世界に、もらったものを返していかなければならないと思います。
さて公立入試が終了し、萌学舎でも新学年の授業が始まりました。また桜の季節がやってきます。

日本人にとって桜といえばソメイヨシノのことです。ソメイヨシノは江戸時代に品種改良で生み出された種で、花粉による交配で種子を作る能力がありません。ふやす方法は、挿し木か接ぎ木だけです。したがって、ソメイヨシノはすべて同一個体のクローンであり、桜が一斉に咲き、一斉に散るのはこのためです。
つまり、国内数百万本とも言われる桜の木すべては、どこかで誰かが植えたものなんです。勝手に生えてきた桜は一つもなく、一本一本の木の背後にはそれを植えた人間が必ず存在します。
当たり前のようにそこにあるものも、膨大な人の営為の積み重ねです。私も大したことはできませんが、桜の苗木をまた一本植えるようなつもりで、今日も授業に臨みたいと思います。
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