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横線が見えないネコの話

2025/10/21
萌学舎通信
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萌学舎 塾長 角 一路

数学の授業でよく生徒に「図を書け、グラフを書け」ということを言います。実際に自分の手を動かして地道な作業をしないと数学は身につかないからです。そんなときに私がよくする話をしたいと思います。

横線が見えないネコ

1970年に行われた神経科学の実験です。

生まれたばかりの子ネコを「縦線(たてせん)」しかない部屋で育てます。自分の体も見えないように首にはエリマキをつけます。そして5ヶ月後、普通の環境に戻した小ネコの視覚能力を調べました。

その結果は驚くべきものでした。小ネコは「横線」がまったく見えなくなっていたのです。例えば、棒を横方向に動かしても小ネコはまったく反応しませんでした。テーブルの脚はちゃんと見えてよけられるのに、椅子(いす)の水平な座面にはぶつかってしまいます。

授業は勉強ではない

多くの人はこの話を聞いて「ひでえ実験だな」とか「小ネコがかわいそう!」とか「エリマキかわいい」などの感想が浮かんでくると思いますが、そのへんはいったん(お)いておいても、なかなか考えさせる実験です。

これはつまり、横線が何であるかを理解する方法は「横線がある環境で過ごす」以外にない、ということだと思います。横線は「見えて当たり前」のものではなく、また「横線とは何か」みたいなことをいくら「説明」しても意味がないのです。

勉強でも同じようなことがあるのです。私はよく勉強を登山にたとえるんですが、椅子に座って教師の話を聞くというのは、登山の前に「最適なルート」とか「ロープの使い方」とかを説明されているのと同じでして、登山そのものではないんです。

数学でいえば、具体例を作ってごちゃごちゃ計算するとか、ちまちま数値を確かめてグラフを書くなど、自分の手で形があるものに触ることが本当の勉強です。そういう地道な作業をしないと数学は理解できるようにはなりません。「説明」されて分かるものではないんです。言ってみれば、授業は勉強ではないのです。

見えても視えない

人間の場合もこのネコのような状況になることがあります。例えば、生まれつき目が見えなかった患者が治療により回復する場合です。

この場合もやはり患者は物の認識がうまくできないそうです。例えば、目の前に椅子があっても、それが椅子だとすぐには分かりません。「これは4本の脚と座面があるから、たぶん椅子だろう」と推論して初めて椅子だと認識できます。

「数学ができない」というのも、これに近い状態です。できる人には見た瞬間に分かることが、なかなか理解できない。数学力に限らず、「人の気持ちを読む」など、説明のできないスキルは他にもいっぱいありそうです。

九九をおぼえず東大に

地道な勉強は一見効率が悪く見えますが、あまり心配することはありません。

脳科学者の池谷(いけがや)(ゆう)(じ)さんは東大卒の東大教授ですが、かけ算九九の暗記ができなかったそうです。例えば「7×9=63」を、池谷さんは毎回次のようにやっていました。「7×9は7×10に近い。その差は7が1個分。よって7×9は70-7、つまり63」。

いや「しちくろくじゅうさん」でええやん、と思うでしょう。しかし、普段からこの池谷式で計算している人は「7×99」を「7×9」と同じ速度で答えられるんですよ。700-7=693ですから。このように数学では、基本を反復することで応用力が身につく場面が多くあります。

AIが答えを教えてくれる時代でも、泥くさい、地道な反復作業は大切なのです。

脳の臨界期と可塑性

ちなみに、いったん横線が見えなくなったネコの視覚が完全に回復することはありません(かわいそう……)。これは、視覚など特定の能力は、「臨界期(りんかいき)」と呼ばれる一定の年齢(ねんれい)後は身につけることが難しくなるためです。やっぱり勉強は若いうちにやったほうがいいんですね。

しかし、足りない能力を別の能力で(おぎな)うことはできます。例えば、目が見えない人でも「舌で見る」ことが可能です。カメラ映像を電気信号に変え、舌の上の電極シートに送るんです。これで簡単な単語ぐらいなら読むことも可能になるそうです。

脳はすばらしい(か)(そ)(せい)(新しいものに対応し、変化する性質)をもっています。あきらめることはありません。コツコツ勉強していきましょう。

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萌学舎 塾長 角 一路

東京大学理学部卒。若い頃は数学者になりたくて大学も数学科に進学。そのまま大学院にも進みましたが、在学中にアルバイトでやっていた塾教師の面白さに目覚めてしまい、萌学舎に就職しました。今では私の人生の半分は「萌学舎の先生」です。担当科目は数学・英語・理科・国語。高校・大学で演劇をやっていた経験をいかした迫力ある授業と、数学科じこみのロジカルな解説がもち味です。

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