お知らせ・コラム
『まく子』西加奈子

3月なのに寒い日が続いていますが、私は毎日同じように走っています。実は何かが少しずつ変わっているはずなのに、日々変わらないような生活をおくっていると、私たちは、勘違いしてしまいます、いまのこの状態がずっと続くのだ、と。
「小学5年生」そんな題名の小説が重松清の作品にあったと思います。『まく子』の主人公「ぼく(慧)」も小学5年生。身体の成長とともに心も揺れ動く年頃です。
「ぼく」は小さな温泉街に住んでいます。バスは1時間に1本、コンビニが1軒、小さなゲームセンターがひとつ、町に住んでいる人はだいたい知っている。クラスメイトはほとんど幼馴染、クラスは12人、小学校全校生徒は50人、というようなところです。
私たちが暮らしている都市部には、そのような共同体がないし、現在は地方でも崩壊しつつあります。「ぼく」が暮らすのは、そのような今は亡きなつかしい共同体なのです。
「ぼく」の体は変わり始めているが、「ぼく」は大人になりたくない、と思っています。かといって子供っぽい男子とは距離を置きたいし、得体のしれない女子になるのはもっと嫌だ。
そんな宙ぶらりんな「ぼく」のクラスに謎の美少女「コズエ」が転校してきます。そして、「コズエ」と「ぼく」の不思議な交流が始まります。
ラストには不思議な出来事が起こりますが、おそらく、それは、こういう共同体だからこそ起こったとも言えます。
哲学者内山節氏は、「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」という文章で、かつて存在していた共同体について考察しています。それは、共同体内部の村人たちはキツネにだまされながら暮らしていたが、共同体外部からやってきた外国人はだまされなかった、という話でした。
それになぞらえれば、「ぼく」たち集落の人たちは「コズエ」という存在に「だまされていた」とも表現できるのでしょうか。だだ、共同体の外部にいる私たち読者にはその真偽を判定することはできません。
「コズエ」との交流をとおして、変わりゆくことに抗っていた「ぼく」の認識が変わります。
「ぼくは、こわがっているこの体ごと、成長してゆくのだ。どうしようもなく、あらがいがたく成長してゆくのだ。そしてそのなれの果てが『大人』ではないのだ。大人もまだ、何かの渦中なのだ。いつかは死ぬまでの、絶対に死ぬまでの、その奇跡みたいな『ひとつの過程』に過ぎないのだ。ぼくらは今偶然、奇跡みたいな偶然のさなかに、この姿であるだけなのだ。」
「コズエ」によって「ぼく(慧)」の世界が変わる瞬間です。
※ここで紹介された本は萌学舎文庫(自習室の本棚。2週間貸出)にあります。
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